村岡花子-『赤毛のアン』翻訳に託した未来への希望

子ども時代、あるいは青春期、何気なく手に取った本が「村岡花子訳」だったという人は多いのではないだろうか。

1893年生まれの村岡花子は、10歳で親もとを離れ、カナダ系ミッション・スクールで徹底的な英語教育、キリスト教教育を受けた。一方、短歌の佐佐木信綱に入門し、日本語の言葉の感覚を研鑽した。一時は本気で歌人を目指したほどである。若い日に身につけたこれらの素養が、やがて村岡花子の翻訳家としての道を開いていく。

女性や子どものための読み物が軽視されていた時代から、その必要性を感じて清新な英米文学の翻訳に努め、波乱に富んだ75年の生涯で『王子と乞食』『フランダースの犬』『クリスマス・キャロル』などの名作を数多く手がけた。中でもカナダの作家L・M・モンゴメリを日本に紹介した功績は大きい。代 表作『赤毛のアン』は、戦争が始まる直前にカナダ人宣教師の友人から原書を手渡され、戦禍の中で密かに訳し続けた。英語が敵性語とされた時代、空襲におび やかされながらも、なぜこの本を守らなければならなかったのか。

花子にとって物語の翻訳とは何だったのか。

時代の移り変わりとともに、言葉も移ろう。翻訳はたとえ名訳でも、新訳に上書きされる出版界の流れの中で、村岡花子訳の『赤毛のアン』は、やや古めかしい言い回しまでもが光沢となって、今なお生き続けている。家庭での素顔や、同時代の文学者たちとの交流のエピソードも交えながら、翻訳を天職とした 村岡花子の半生、その朽ちない訳文の魅力について触れる。