Evernote のローカライズに関わったら IJET-23広島にたどり着いた

クラウド分野アプリの白眉として知られるEvernoteは“Cloud”という言葉もまだ珍しかった数年前に開発され、ベータテスト版当初からすでに世界的な規模で多数のOSやデバイス上で“普遍的”に使われることを目指していた。ところがかなり普及した現在でも肝心の各国語へのローカライズといえば実は専らボランティアに頼っている。Evernoteにほれ込んでもっと普及して欲しいと願う熱心な“evangelist”といわれる人々を各地で獲得し、彼らの情熱を取り込んで成長していくという企業文化を持つ。

iOSという呼称が無かった頃から、気に入ったiPhoneのアプリがあれば趣味として日本語化していた私がEvernoteの可能性にひかれたのは当然の帰結だったかもしれない。頻繁なバージョンアップで大量のテキストと格闘する日々を過ごすうちに、Social Network Serviceを通じてEvernoteのCEOであるPhil Libinの来日を知り、本来なら縁遠かったはずがSNSでつながって彼の知遇を得たことが全ての始まりだった。

後日大阪で初のユーザーミーティングが開催された際、そこに偶然CEOの通訳者として関根マイク氏が居合わせ、知己となったことが門外漢ながらIJET-23に招かれるきっかけとなった。

SNSには人とつながる機会を与えてくれるのみならずリアルで出会った人々と後日も日常的につながることによって人間関係をより親密にしていくという作用がある。去る者日々に疎しというのはもはやSNSが敷えんした現在では当てはまらない。今回はネット上での一期一会からここ広島まで時空を超えてつながる一人のストーリーをお伝えしたい。